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BBS(クラシック音楽専用)


バッハを中心とするクラシック音楽についてどんどん書き込んでください。
お待ちしています。

目次
過去記事 <<(全1000件)>>

From juncoop To at 2004 12/25 00:42 編集 返信

クリスマス・イヴに聴く音楽

皆さん、メリークリスマス!いかがお過ごしですか?

私は昨日、ヴェルナーのバッハ/クリスマスオラトリオを聴きまして、今日はリヒターのドイツ語版メサイアを聴いてます。
リヒターのメサイアは美しい・・しかも緊張感があります。

★オデットさん

お久しぶりです。リヒターのメサイアを両方聴かれたというのはいいことですね。両方素晴らしいです。
ところで元弟子に申し上げたいのが・・・汗・・。

リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団/合唱団(ドイツ語版)
ヤノヴィッツ(S)ヘフゲン(A)ヘフリガー(T)クラス(B)

は実はモダン楽器バリバリの演奏です。古楽器ではありません。・・・汗・・・汗!

オデットさんのお話・・いつも元師匠としては・・冷汗もの・・。まだまだ修行が足りん!

リヒター指揮ロンドン・フィル/ジョン・オールディス合唱団(英語版)

これはもちろんモダン楽器です・・・。よろしくね!

リヒターが指揮するオーケストラは全てモダン楽器どすえ!


★リヒターのヘンデル

以前、葛の葉さんが、リヒターのヘンデルについて次のように語られてました。「リヒターはヘンデルの娯楽音楽としての良さを生かし切れていません。(リヒターのこの傾向は実はバッハについても言えることで、ひたすら宗教的、荘重、崇高なものとしてのみ音楽を押し切ろうとすることがあるようです。)」

この点は、それぞれ皆さんの好みや見解はあると思います。私は「ひたすら宗教的、荘重、崇高なものとしてのみ音楽を押し切ろうとする」ことが、リヒターの素晴らしさだと思います。他の指揮者でこのような演奏を誰がしたでしょうか・・! リヒターだけなんです。それが彼の芸術表現でもありますから、私はリヒターのその表現がやめられませんね。今後このようなヘンデルはたぶん現れないと思いますから、余計にリヒターのヘンデルは貴重で素晴らしいと思います。

反論受付中・・・・!



【今日の音楽】


●ヘンデル/オラトリオ「メサイア」《ドイツ語版》

カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団/合唱団
ヤノヴィッツ(S)ヘフゲン(A)ヘフリガー(T)クラス(B)アンドレ(tp)ビルグラム(cem)

もう序曲からして、情熱的! これはリヒターの合奏協奏曲作品6と同じ表現。このような序曲はリヒター以外ではお目にかかったことがありません。合唱の活気の良さ・・アリアの美しさ・・すべて私好み・・。やめられません・・リヒターのヘンデル!
緊張感・強靭さ・情熱的・感動・重厚・厳しさ・華麗な美しさ。全てが備わっています・・。


●バッハ/クリスマスオラトリオ全曲

フリッツ・ヴェルナー指揮プフォルツハイム室内管弦楽団/ハイルブロン・H・シュッツ合唱団
ギーベル(S)ヘルマン(A)クレブス(T)マクダニエル(B)テレベシ(vn)アンドレ(tp)ピエルロ、シャンボン(ob)

第1部から第6部まで言えることは、第一にアンドレのトランペットの素晴らしさです。それからシンフォニアの優しい表現は最高でした。各アリアは安心感のある演奏で癒されました。ヴェルナーの演奏は決して第1級とはいえないかもしれませんが、そこに聴ける音楽は、ヴェルナーの人柄がよく出ていて、温かい優しさを感じます・・。私はヴェルナーを聴くといつも安心感に浸り癒されます。こんなに優しいクリスマスオラトリオは他に聴けるのかどうか・・。



From mont_54 To juncoop5@goo at 2004 12/24 12:24 編集 返信

マタイの核心「ただ愛ゆえに〜」

皆さんこんにちは。今日はマタイの魅力について、
くだんの第49曲から書いてみたいと思います。
(といっても僕の場合、グッテンベルグ盤になりますが)

ただ愛ゆえに我が救い主は死のうとされています。
「Aus Lie−−−−be」
この長いメリスマがのっけから絶大な効果を発揮します。
バッハはこれに、美しいソプラノを用いることで、
我々に愛(Liebe)の美しさ、尊さを伝えてくれました。

グッテン盤で歌うアンナ・コロンディの場合、
特にダ・カーポで戻ってくる後半の「Aus Liebe」などでは
この世のものとは思えぬ、絶美のピアニシモを響かせてくれます
(ここで酔いしれないようでは、高いお金を払ってグッテン盤を
買わない方がいいです。もったいないので)

第50曲(章句レシタティーヴ)に行きましょう。
ここでの見所は二度目の「十字架につけろ!」や「イエスを殺す
ためなら、その呪いは我々と子孫がかぶっても良い」以上意訳)
という世にも恐ろしい約束をする民衆の叫びです。
これ(フーガ)がまた、やけにカッコいいんですよね。

グッテン盤の魅力は他にもあります。
「そこでピラトはバラバを放ち」と歌うM・ウルマン(福音史家)の
Barabbam los この「ロ〜〜ス」のメリスマ表現の中に、それこそ
イエスを救えなかった事に対する痛恨の情や、悔しさ、無念さが
とても良く表現されて、聴いていて思わず「う〜〜ん、残念!」
という気にさせられます。

これが次の第51曲(自由詞レシタティーヴ)に引継がれるのです
弦楽の打ち下ろす力強い鞭打ちの付点音符にのせて、
僕のアンケ・フォンダンク(いつから君のものになったの?)が
「神よ憐れみたまえ・・」と歌い出すんですけど・・・なんと!
すごい怒りに満ちているんですね。これが!(カッコ良すぎ)

他盤ではたいていが、憐れみを乞うような歌い方なのですが
グッテン盤だけは違います。怒ってます。
特に「刑吏たちよ」の Ihr Henker では音程を外すほど鮮やか。
(こんな場面で音符通りに歌って欲しくはないです)

いいですねー。これぞ解釈の深化でしょうか?
オーセンティックな人は異を唱えるかも知れません。しかし、
仮にバッハが受難曲(宗教曲)としての枠組みを超えて、
真に人間的な怒りをここで表現しようとしたのであれば、
それはとても正当で、説得力のある表現だと思うし、
僕は誰が何と言っても(だから誰も何も言ってないでしょッテ)
この解釈や表現を支持します。
(なので負けずにボクも、反論受付中)

このまま次の52曲(自由詞アリア)に突入したいのですが、
ちょっと長くなったので、日と稿を改めます。

From odetto To juncoop5@goo at 2004 12/23 16:25 編集 返信

ヘンデル オラトリオ 

 こんにちは〜 寒くなりましたが お変わりございませんか?
師匠 ご無沙汰しています。

私は昨日と今日と2日に渡って テオドーラ と メサイア 聴きました。 そして 今日は素晴らしい体験をしたのです。
2種類のメサイアを 聴く幸運に恵まれました。

まず 最初に聴いたのは リヒター指揮 ミュンヘンバッハの「メサイア」でした ヤノビッツ がソプラノです。

そして 次に リヒター指揮 ロンドンフィルハーモニー 「メサイア」でした。 

ほんとに どちらも甲乙つけがたい演奏でした。ソリストも素晴らしかったです 前者は古楽器のようでした。 後者は モダンでした。 

ただただ 古楽器の弦楽器に酔いしれていて・・そして モダン演奏のオーケストレイションの美しさに酔いしれてしまいました。

そして 2部の20曲目からの合奏協奏曲のような厳荘的響きはさすがリヒターだなと 思いました。
師匠に聴かせて戴いたあの10番が思い出されてきましたよ。

古楽器 モダン なんて もうどうでもいいや。。なんて 思える今日の出来事でした。 

From juncoop To at 2004 12/22 23:38 編集 返信

今日聴いた音楽

皆さん、こんばんは、もうすぐクリスマス、いかがお過ごしですか?

私は・・マリナーのカンタータ第159番と170番を只今聞きながら書込みしています。ヴェルナーの宗教大作やマリナーのカンタータを聴いてとても癒されます。


●バッハ/カンタータ第159番「見よ、われらイェルサレムにのぼる(Sehet wir gehn hinauf gen Jerusalem)」BWV.159(1729?)

●バッハ/カンタータ第170番「満ち足れる安らい、うれしき魂の悦びよ(Vergnugte Ruh beliebte Seelenlust*)」BWV.170(1726)

ネヴィル・マリナー指揮
アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ/セント・アンソニー・シンガーズ
ベイカー(MS)ティアー(T)Shirley-Quirk(B)レッジャー(org・cem)

第170番の冒頭アルト・アリアといい、第159番の第4曲バス・アリアといい、とても名曲で感動します。特に159番のアリアは、いままでリリングやレオンハルトで聞いていたのですが、なんとも思いませんでした。ところがマリナーの演奏ではじめてこのアリアの良さを思い知らされました。159番第4曲アリアの歌詞は以下のとおり。

4.[バス・アリア]

Es ist vollbracht 果たされた、
Das Leid ist alle 苦しみはすべて、
Wir sind von unserm Sündenfalle わたしたちは自分たちの罪への堕落から
In Gott gerecht gemacht. 神のもとに正しい者とされた。
Nun will ich eilen 今やわたしは急ぎ
Und meinem Jesu Dank erteilen わたしのイエスに感謝をしよう。
Welt gute Nacht! 世よ、お休みだ!
Es ist vollbracht! 果たされた!

この音楽は、歌詞のとおり「果たされた」といった感じがあるのですが、ただそれだけではなく、優しさにつつまれた音楽なのであります。オーボェの叙情的な旋律に弦楽の伴奏がなんとも素晴らしく美しい。世間に疲れて帰った時に聞くととても癒されます。このような沢山の美しいアリアを作曲したバッハの素晴らしい音楽に出会いますと、やはりバッハを聞いていてよかったと・・思ってしまいます。


●フリッツ・ヴェルナーの芸術-3

まず、感動するのは、なんといっても、カンタータ第147番の1回目の録音でバーデンバーデン南西ドイツ放送交響楽団によるもの。もともと147番はヴェルナーの演奏がとても素晴らしく、その1回目を聴けたことは感動でした。オーケストラは重厚で荘厳ではありますが、冒頭合唱の通奏低音にチェンバロとオルガンと両方使用するあたり、フレーミヒがドレスデン・フィル、聖十字架合唱団と来日したときに聞かせた素晴らしい147番を思い起こします。グライッスルのトランペットの音は荒々しく響き、その壮大な演奏の素晴らしさは感動しました。またカンタータ第118番(モテットBWV118)の素晴らしさは言うまでもありません。これからゆっくりマタイやヨハネを聞いていきたいと思います。今日はクリスマスオラトリオの第1部〜第2部を聴いたのですが、アンドレのトランペットの素晴らしさ、田園シンフォニアの優しさ、子守唄のアリアの優しさを聴き感動しました。さすがヴェルナーは人間味のあるあたたかい演奏をしますね。


From juncoop To at 2004 12/21 21:53 編集 返信

今日の音楽

皆さん、こんばんは。久々にCDを手に入れました。

●マリナーのカンタータBWV82,159,170,211,212の再発。

211番と212番はLP時代の名盤で、フィッシャー=ディースカウの名唱が聴けます。159番の第4曲バス・アリアは泣けます・・、傑作!


●ヴェルナーの第3巻マタイ・ヨハネ・ミサロ短調、クリスマスオラトリオ、モテット集

輸入盤で安価で手に入れました。
これからゆっくりと聴いていきます。



フリッツ・ヴェルナーの芸術-3

バッハ:受難曲、オラトリオ、ミサ、モテット他

収録曲目
マタイ受難曲 BWV 244/ヨハネ受難曲 BWV 245/クリスマス・オラトリオ BWV 248/ミサ曲 ロ短調 BWV 232/主に向かいて新しき歌をうたえ BWV 225[モテット第1番]/み霊はわれらの弱きを助けたもう BWV 226[モテット第2番]/イエスよ、わが喜び BWV 227[モテット第3番]/恐るるなかれ、われ汝とともにあり BWV 228[モテット第4番]/来ませ、イエスよ、来ませ BWV 229[モテット第5番]/主を頌めまつれ、もろもろの異邦人よ BWV 230[モテット第6番]/おおイエス・キリスト、わが生を照らす光 BWV 118[カンタータ第118番] /心と口と行いと命 BWV147[カンタータ第147番 第1回録音]

From nekonya To juncoop5@goo at 2004 12/19 18:53 編集 返信

わーい\(^o^)/

mont_54さん、お久しぶりです。

ご謙遜なさっていらっしゃいますが、mont_54さんのマタイ聴き比べ、nekonyaにはとても参考になりました。
きちんと印象を整理されていてすごいなーと感動したのがnekonyaの先の長文投稿の動機の一つです。

そして以前、
>バッハのテキストの中に潜在している劇的な要素、これを発掘するのも、後世の音楽家の優れた功績であろうし、権利でもある。

とおっしゃっておられたのもとても参考になりました。
ほんとうにバッハの中にはいろいろな要素が詰まっていますよね。
そう考えると、それまでよりずっと多くの演奏に感動できるようになりました。
こころからお礼を申します。<(_ _)>

>しかしマタイは違います。
ここで歌われているのは「愛」です!

nekonyaには、マタイの中から、人のあらゆる感情が聴こえてくるような気がします。
悲しみ、苦しみ、妬み、憎しみ、裏切り、怖れ、後悔、憐れみ、感謝、喜び、安堵、安らぎ、神への愛からほのかなエロチシズムまで、およそ人の感じるあらゆる感情を、ただこの1曲のなかに見いだすことができるように感じるのです。
そしてもちろん、これらの感情の根底にはmont_54さんがおっしゃる「愛」があるのでしょうね。
いろいろな演奏を聴けば聴くほど、そして問えば問うほど、それによって自分の内側の領域が開かれてくる。
こんな曲、他にはありません。

また、ぜひmont_54さんのマタイについてのお話をきかせて下さいませ。



From juncoop To at 2004 12/19 13:29 編集 返信

今日聴いた音楽

皆さん、こんにちは・・。お休みはいかがお過ごしですか。


★montさんお久しぶりです。お仕事忙しいそうですね。
クリスマスに語っていただけるのを楽しみにしてます。それにしても皆さんヘレヴェッヘお好みでなによりです・・。

★skunjpさん、風邪なおられて旅行ですか・・。良かったです。お元気になられて。ミュージック・バードの放送内容見ましたが、かなり充実してますね。しかもCDより音がいいとか。


【今日の音楽】

今日は、バッハのカンタータ第39番と第105番をよく聴きました。レーマンの演奏を筆頭にいい曲ですね。

この二つのカンタータはとても渋い音楽でバッハのカンタータの中でもとても好んで聞いてます。カンタータは200曲もありますから、まだまだこの2曲に迫る傑作はありますね。例えば最近聞いているのが、カンタータ第27番の冒頭の曲もかなり渋いです。しかしカンタータ全体が優れているという点では、やはり39番と105番ですね。両曲とも苦悩の冒頭合唱が素晴らしく、合唱フーガに優れたものを感じる。

●バッハ/カンタータ第39番、第105番

カンタータ第39番「飢えたる者に汝のパンを分かち与えよ(Brich dem Hungrigen dein Brot)」BWV.39(1726)[SABschoOrch][2部7曲]

カンタータ第105番「主よ、裁きたもうことなかれ(Herr gehe nicht ins Gericht)」BWV.105(1723)[SATBschoOrch][6曲]

@フリッツ・レーマン指揮ベルリン・フィル/ベルリン・モテット合唱団

この演奏、やはり一番素晴らしい・・。他の演奏と聞き比べてもやはり私はレーマンをとってしまいます。その演奏はゆっくりと重く訴えかけ、心の奥底になにか深いものを感じます。この演奏をなんて表現したらよいのか・・うまく表現出来ませんが、ただ感動するばかり。

Aヘレヴェッヘ指揮コレギウム・ヴォカーレ・ヘント

105番の静かな苦悩を表す合唱、第3曲アリアの美しさについては優れたものを感じます。39番はリリングやヴェルナーのようにbfを使い可愛らしい表現で106番を聞くような雰囲気があります。この39番はフルートが活躍するのでフルートかリコーダーを使うかによって曲のイメージが変わりますね。ヘレヴェッヘの合唱はやはり綺麗で見事です。ヘレヴェッヘの録音はエコー効果があり、どこかの大聖堂の中で聞くような幻想的な響きであります。

Bヴェルナー指揮プフォルツハイム室内管弦楽団/ハイルブロンHシュッツ合唱団

105番の冒頭合唱のテンポはレーマンと同じもの、ゆっくりと歌い、聞き手を巻き込むような苦悩が伝わる演奏。各アリアの温かい表現はヴェルナーの特徴で冒頭合唱が苦悩な演奏だけに、とても癒される。39番の冒頭合唱はテンポ早めですが、聴き応えがあります。特にお勧めしたいのは第3曲アルト・アリアでオーボェとヴァイオリン、アルト歌唱の対話の美しさは絶賛しますね。また第5曲ソプラノとリコーダーによるアリアの美しさ・・! ヴェルナーの素晴らしさを今回再認識させられました。

Cリヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団/合唱団

レーマンに比べてレガート奏法でありまして、その表現はかなり重い。私は以前リヒターとレ−マンはかなり似ていると思っていたのですが、この39番と105番を聞いて二人の違いをはっきりと認識しました。

Dリリング指揮バッハ・コレギウムシュトゥットガルト/ゲッヒンガー・カントライ

合唱の四声部をはじめにソリストに歌わせるところはリリングの面白いところで、この効果は曲によってはいいと思います。でもこの2つのカンタータは冒頭合唱がかなり聞き物ですから合唱でいってほしいところ。リリングの演奏はけっこうはやめのテンポですが、合唱の扱いの上手さはさすがであります。



以上の演奏を聴きました。どれも特色があって、しかも名曲だけに素晴らしいです。105番はアーノンクールや鈴木雅明による演奏もありますね。ルーシンクの演奏もありました。感想はまたのちほど・・。




From mont_54 To juncoop5@goo at 2004 12/18 23:35 編集 返信

私も遅レスになりますが・・・


nekonya さん、お久しぶりですね。もう一年にもなりますか。
それにしても読み応えのあるマタイ評ですね〜。素晴らしい!
僕の一口メモ程度の短評とは大違い m(_ _)m
また是非書いてください。僕も書きます。

そして皆さん。暮れも煮詰まってきております。
年の瀬といえばマタイ?じゃなかった「第九」ですか、やはり・・
死んだ親父がむかし「死ぬ前に、いっぺん第九を歌ってみたいものだ」
と、言っておりましたが、どーせ歌うならマタイですよね。ちがう?

だって、第九って精神(精神性)を謳っている(謳い過ぎ)じゃない?
何か、最後は無理にでも歓喜しなくちゃいけないみたいで、少し疲れる。
もちろん、僕の個人的好みで言っているだけので、第九ファンの方々
すみません。

時代的にもベーやんの頃は、ドイツ観念論が出来上がっていて、
その辺の影響もあるんだとは思いますが・・・・
これがヴァグナーのマイスタジンガー(だったか)などにいたっては、
最後の最後で「そもドイツ精神とは何ぞや」みたいな話になっちゃって、
えー?5時間も聴かされてこれかよ〜ってな気持ちになってしまいます。
ヴァグナーファンの人、ごめんなさい。(謝)

しかしマタイは違います。
ここで歌われているのは「愛」です!
それは宗教的人間愛ではあるものの、バッハは手法的にさまざまな形で
愛を歌っています。慈しむ愛。涙にくれる愛。許す愛。怒れる愛。など等
ときとしては、なまめかしいほどに扇情的な表現で迫ってきたりして、
これが、俄然リアリティあふれる愛情となって聴くものに伝わってくる。

もし僕が歌うとすれば、ソロパートなんかより断然、合唱フーガですねー
なんたって格好いいもの(いい歳こいて)
4声部くらいを一人で歌える超能力が手に入るなら、悪魔と取引をしても

さて、仕事も最後のヤマをむかえて忙しさも佳境に・・・
jun さん。クリスマスあたりに、またゆっくり投稿させていただきます。
(最近、ヘレヴェッヘのマニフィカトに魅せられています)

From Skunjp To juncoop5@goo at 2004 12/18 10:26 編集 返信

みなさん、こんにちは。

ご機嫌いかがですか。

僕は今日から数日、旅に出ます。

MDをたくさん持ちました。ヴェルナーのカンタータも入っています。
来週ミュージックバードでヴェルナーのカンタータが一挙に3枚も紹介されるので
うれしー・・・!

先週は中世、ルネッサンス特集があって、名曲名演をたくさんとりだめしました。
中でもオケゲムのレクイエム
がとても気に入っています。
なんという美しさ。。。!

From Skunjp To at 2004 12/15 20:18 編集 返信

日曜日のFMより

>★昨日のヘレヴェッヘとアーノンクールの放送

僕も聴きました。日曜日の午後3時、風邪の床でうつらうつらしながら聴いたので、
あまり厳密には聴きませんでした。

ヘレヴェッヘはじわじわ変貌しつつあります。
10年前くらいまでは端正で静的、そして柔和でした。

最近は柔和の中に強靱さがあり、絢爛たるダイナミズムもある。

昔の清楚さが忘れられない・・・と言う人もいるかもしれませんが、僕はどちらも
好きですね。

歌手はソプラノとテナーが良かった。
ダンツのメリスマはさすがでしたが、やや存在感が希薄だった。
バスのコーイは不調だったのかちょっと音程が浮き足立っていて、彼の神経質な
ところが若干気になりました。


おどろいたのはアーノンクール。
ヘレヴェッヘの雰囲気とはまた大違いでオペラそのもの。もうノリノリで聴かせて
くれました。自由自在で円熟度が高いですねー。

201番「フェーブスとパンの争い」ではパンの悪のりアリアの最後の音を、和音
から上に1音外れた音で思いっきり歌わせ、オケが終わった後で解決させたので、
結果的に、不協和音で曲が終わってしまうという!コロンブスの卵的発想のイタズラを
やっていました。年をとるほど元気なアーノンクール先生です。

でも211番ではやややりすぎの感じで、リースヒェンがおきゃんすぎて品が
なさすぎた。残念・・・


※junさん、ほんとこの世は生きにくいですね。

病気でバッハの伝記ばかり読んでましたが、バッハにとってもこの世はとても生きにくかった
ようで。行く先々の勤務地で起きる争い!でもバッハはその苦悩を音楽にしたから僕らは
慰められるのかもしれません。そう考えると、僕らの苦しみ、試練というものは何かの
目的があるのかもしれない・・・

From juncoop To at 2004 12/14 22:19 編集 返信

今日の音楽

皆さん、こんばんは・・今日もバッハを少し聞いてます。

今日は仕事中、頭の中はロ短調ミサの冒頭キリエが鳴ってばかりいました。あの痛切な音楽・・・苦悩ですよね・・。

そして帰宅して、今、ロ短調ミサを聞く。いいですねーー。深いし重厚で苦悩そのもの・・・。歌詞はただ「主よ憐れみ給え」だけ。

★skunjpさん

風邪でしたか・・早く回復されていいクリスマスをお迎えください。ヘレヴェッヘのクリスマスオラトリオで慰められますように。「戦場の指揮者」ですか・・。いやぁ、このヴェルナーのエピソードは本当に美しい話ですよね。音楽は国境を越えます。ヴェルナーはまるで映画でいう「シンドラーのリスト」のシンドラーのような人だったかもしれませんね。日本人にもそういう人がいたらしいです。そして「戦場のピアニスト」でもドイツ軍将校で主人公をかばった人がいましたね・・。戦争は人を変えます・・その戦争の犯罪は耐え難い苦しみを人々に与えます。しかし中にはこういった善良な人々がいたのだという・・事実は、人間も捨てたものではないという・・わずかに救われるものを感じます。今の日本及び世界は大変な時代ではありますが、これも時代の運命というもので、誰かが悪いというものではないかもしれません。その時代の運命の中で、我々はもがき苦しむのですが、しかし、この世の中にも善良な人がいて、自分が窮地に立たされた時、手を差し伸べて救ってくれる人がいることを信じたいですね。そうでないと、世の中は闇ですわ・・。


【今日の音楽】


●バッハ/ミサ曲ロ短調BWV232より「キリエ」

オイゲン・ヨッフム指揮 バイエルン放送交響楽団/合唱団

マーシャル(S)テッパー(A)

1958年 ミュンヘン・ライヴ フィリップス


世の中の平和を祈り、この音楽を聴きたいと思います。
主よ憐れみ給え・・・


●ヴァーグナー/歌劇タンホイザー序曲

レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フルハーモニック

●ヴァーグナー/歌劇ローエングリン第1幕前奏曲

●ヴァーグナー/楽劇トリスタンとイゾルテ 前奏曲と愛の死

オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団

久々に聴くヴァーグナーの前奏曲ですが、いいですよね・・。バーンスタインのタンホイザーやクレンペラーの前奏曲などはあまりメジャーではありませんが、それぞれ素晴らしい演奏であります。タンホイザーはバイロイト指揮者などは荘厳かつ大袈裟に演奏しがちなのですが、バーンスタインは違う。こじんまりとまとめていて、それは歌劇場のピットから聞こえるような感じ。クレンペラーのローエングリンはただ美しく盛り上がり部分は感動的。また愛の死の美しさと、前奏曲の苦悩・・・感動するばかり、なにも言葉がありません。ヴィーンラート・ヴァーグナーはクレンペラーのオランダ人を絶賛したと言われてます。


●バッハ/無伴奏チェロ組曲第5番ハ短調BWV1011

ポール・トルトウリエ(チェロ) 1961年/EMI

再びバッハを聞いてます。この5番はリュート組曲にも転用されたのはよく知られておりますが、とても苦悩を感じる音楽ですね。晩秋の夜にこの曲を1人で聴くと、その悲しい響きに思わず今自分の置かれている境遇とか思いまして、ため息が出ます。受難とか試練を感じます。中でもサラバンドの悲壮感は辛いですよね・・。


From Skunjp To juncoop5@goo at 2004 12/14 17:49 編集 返信

皆さんもお気を付けて

皆さん、ゲホ・・・こんにちは。

会社で苦しんでおります。もう帰って寝ます。
ゲッ今日はレッスンだった。
生徒にうつらないようにしなきゃ・・・
ちなみにインフルではありません。
ありふれた風邪です。皆さんお見舞いありがとう。


さて、juncoopさんのご報告有り難うございました。
とても興味深く読みました。
素晴らしい物語ですねー。映画にできますねー。
映画になったらぜひ見たい。

「戦場のコンダクター」・・・あ、陳腐?


nekonyaさん、また書いてください。読みますよ。

To at 2004 12/14 20:06 編集 返信

nekonyaさんのマタイ鑑賞評

皆さん、こんばんわ。朝晩寒くして、昼暑し、体おかしくなりそうですね。健康には注意してください。まわりは4人も入院・・。


★nekonyaさん

42のマタイ演奏評は興味深く読ませていただきました。的確で客観的な論評には感心させられます。
ここのBBSは少しややこしいのですが、返信や新規作成の時は必ず、書き込み先を必ず【juncoop5@goo】とすることと、パスワード【半角英文】で書き込みを忘れるとせっかくの文章が消えてしまいますのでご注意ください。アドレスは書き込みしなくても問題ありません。

nekonyaさんのマタイ鑑賞評については、その1年もマタイについて聞き込まれ、自分なりのものとし、自分の言葉で批評されたその業績には、惜しみなく拍手を送りたいと思います。私はマタイを全曲聴くと、1ヶ月は明けないと聞けないものがあります。名曲でありながら、やはり気楽には近づけない曲としての難しさ、重さがあります。その音楽しかも3.5時間を要する42種を聞き込むことは並大抵の事では出来ません。その集中力、努力、根気には驚嘆いたしますね。

現在のマタイに関するディスコグラフィに出ている大半の演奏を聞かれ感想を述べられたということは、これからマタイを聴きたいという人にとって大きな参考書になりました。今後、シェルヘンなどのマタイや、ヨハネ、ロ短調ミサ、カンタータについてもnekonyaさんの鑑賞記録を見たいと思います。無理されないように今後もよろしくお願いします。

まずは、御礼まで・・。



From nekonya To at 2004 12/14 00:36 編集 返信

ありがとうございました

juncoopさま、Skunjpさま、

TPOをわきまえない長文投稿を読んでいただきありがとうございました。
貴重なお時間とネット資源を無駄遣いさせてしまったのではないかと冷や汗をかいていただけに、暖かいお言葉をかけていただいてとても嬉しく思いました。

>Skunjpさま
今年の風邪はしつこいようです。
どうぞご自愛くださいませ。

>juncoopさま
昨夜BWV43について投稿したのですがどうやら消えてしまっているようです。(T_T)
「返信」モードで投稿するときえてしまうようですね。
以後気をつけます。\(T∇T )

From juncoop To at 2004 12/13 21:14 編集 返信

今日の音楽

皆さん、こんにちは・・ちょっと寒くなってきました。

私もちょっと風邪気味ですが、なんとかやってます。

★skunjpさん

インフルエンザですか・・お大事に・・早く回復されますように。
ヴェルナーについては詳しくはないのですが、確か第2次大戦でフランスをドイツが占領したときに、ヴェルナーはフランスにおける音楽を監督していたようで、フランス人演奏家をドイツへの音楽奉仕活動に派遣していたらしい。そのとき、オーボェのピエール・ピエルロがドイツに派遣されることに命令が出たらしいが、ピエルロはその命令を無視して姿を暗ます・・そしてある時フランスのオーケストラで主席オーボェで在籍していたときに、ドイツ軍将校が乗り込む・・。練習中で、ピエルロは隠れるようにしたが、コンマスがピエルロに「ピエルロさんAの音を下さい」と言ってしまった。しかしそのドイツ将校は何もなかったように立ち去った。このドイツ軍将校こそが、ヴェルナーであった。多くのフランス人演奏家は、ヴェルナーによってドイツに行く事を免れた。
戦後、ヴェルナーがハイルブロンの教会でオルガニストや合唱指揮をしはじめ、教会カンタータ等の録音をはじめたとき、ピエルロは以前の恩に報いたいと思い、ヴェルナーのカンタータ録音に参加。ピエルロの同僚であるオーボェのジャック・シャンボンやファッゴットのポール・オンニュ、トランペットのモーリス・アンドレ、オルガンのアランなどが参加しているのは、ピエルロとヴェルナーとの関係から来ているらしいです。


★オデットさん

お久しぶりです。ヴィヴァルディの宗教作品は、スターバト・マーテルしか知らないのですが、その他にグロリアとか多数の作品があるようですね。スターバト・マーテルは、元々はじめて聞いたのがピノックによる演奏だったのですが、古楽器による音色がとても合っておりまして、感動しました。今はモダン楽器で聞いてます。3楽章からなるのですが、ほとんど歌付の協奏曲のようですね・・。ヴィヴァルディらしい。


★昨日のヘレヴェッヘとアーノンクールの放送

ヘレヴェッヘの管弦楽組曲3番はまずまずの出来、しかしティンパニの響きがかなり大きいですねー。その効果がまたよかった。
ところがヘレヴェッヘのカンタータ214番はかなり凄いですね。冒頭合唱からして凄まじい演奏で、これはヘレヴェッヘのクリスマスオラトリとかが楽しみになります。ヘレヴェッヘの演奏は元々静的な演奏というイメージが強かったのですが、この214番はかなり派手で輝かしい。
一方アーノンクールによる、カンタータ第201番と211番は、とても劇的でオペラを聞くような演奏でした。オーケストラも重厚で表現力豊か、さすがアーノンクールでしたね。


【今日の音楽】


●バッハ/ゴルトベルク変奏曲BWV988

エフゲニー・コロリオフ(ピアノ)

BMSバッハ全集

今日もコロリオフのゴルトベルクを聞いてます。仕事とかいろいろと疲れたとき・・。私はこのゴルトベルクを聴くと安らぎます。元気な時はカンタータや管弦楽など聴きますが、ロウテンションの場合、バッハの鍵盤が癒されます。しかもチェンバロによる鋭い音色ではなくて・・ピアノによる演奏が心なごみます。優しいゴルトベルク・・・。

以前は強烈な演奏で緊張感のある演奏をいろいろと聴いてましたが、最近はバッハの演奏に人間味のあるあたたかい演奏を求めるようになりました。ヴェルナーやレーデルのバッハはそういう意味ではとても心が癒されます・・・。




=3=3 ひゅ〜〜(→注:juncoopが去ったことを示す)


From odetto To juncoop5@goo at 2004 12/13 10:54 編集 返信

こんにちは お元気そうで♪

 お久しぶりです〜 いつもお世話になっております。
大阪のどちらを うろつかれて いるんでしょうね(笑)
私はいま ヴィヴァルディーの 宗教曲聴いています。
それが また なんとも言えないほど いいんですよww
カンタータも ラウダーテ も 文句なし! 一押しです 
よかったら じゅんさんにも 聴いてほちいですww

 ちなみに。。チャイコ6 ではなく チャイ6 とか チャイ5
とか言ってますが・・・
 あと ヴィヴァルディーも入れたくなっちゃった 
ヴィヴァルディー カンタータを ヴィヴァカン なんてどうでしょうね?(笑)
あと ヴィヴァルディーの協奏曲を ヴィヴァコン。。。といおうと思います。
 リュート協奏曲 マンドリン協奏曲 グロッシ など 素晴らしい作品がいっぱいです。^^
 にた〜〜〜〜〜〜 幸せ〜〜=^-^=うふっ♪

 ひゅ〜〜〜(顔文字ない)   では またね♪

From Skunjp To juncoop5@goo at 2004 12/12 12:39 編集 返信

教えてください

今日も風邪で寝ています。

というか、インフルエンザの予防接種をして以来、体調が最悪で、体がだるく熱があるんです。

予防接種は体調の良いときにいたしましょう。
それに、した後はなるべく安静に。

僕はこのふたつの禁忌を破ってしまったようで・・・(-_-;)ゞ


さて、nekonyaさんのマタイの評価じっくりよみました。

納得させられます!

知らない演奏もあったので勉強にもなりました。

それにしてもnekonyaさんは配慮の行き届いたバランスの良い評価をされます。

僕は以前、ブレイズのアリアをピクニック気分と書いたことがあるのですが、nekonyaさんは
読む人が傷つかないように配慮されていますね。

>この人の歌を聴いていると、悔いの涙さえも青空の中に溶け込んでいってしまうかのようです。

う〜ん、そうかー、こういった表現もあるのですね。(^o^)
敬服します。

鈴木さんは大好きなのでつい辛口になります。

掲示板では読む人がどのような気持ちになるか、その辺も配慮したいですよね。


juncoopさん、ヴェルナー良いですねー。

この人の演奏はまさに癒しの響きで、この時代に復刻されたと言うことには、大きな意味が
あるのではないでしょうか。

つまり時代がそれを必要としてる・・・というか。

ヴェルナーの音楽は何より彼の人柄を反映しているように思えます。
彼はドイツ占領軍の将校だったようですね。そして捕虜のフランス人演奏家と交流を持ち、
保護したのでしょうか。その縁で、バッハカンタータのドイツ、フランス混成軍による録音が相成った?

うろ覚えですが・・・この辺詳しい方がおられましたら、ぜひ教えてください。

From juncoop To at 2004 12/11 22:23 編集 返信

今日の音楽

皆さん、こんばんは・・お休みですが、いかがお過ごしですか?

skunjpさん、風邪ですか?お大事になさってください。病に伏せっている時こそ、バッハの音楽が心を癒します・・。


今日はゆっくりバッハを聞いてます。


【今日の音楽】


●バッハ/カンタータ第43番「神は喜び叫ぶ声と共に昇り」 BWV 43

フリッツ・ヴェルナー指揮

プフォルツハイム室内管弦楽団/ハイルブロン・H・シュッツ合唱団

以前はラミンの激しい演奏でよく聴いてたのですが、ヴェルナーが再発してから、ちょっと優しい表現の43番を聞いてます。この43番の冒頭合唱からして輝かしい音楽ですね。フランス式序曲のようなゆっくりと荘厳な序奏に始まりトランペットの輝かしいファンファーレとともに合唱が歌われる様はいつも感動させられます。この合唱はカンタータ119番や190番と共に優れた合唱の1つだと思います。各アリアも傑作揃いで、第3曲の弦楽伴奏のテノール・アリアはリズムカルな快曲。第5曲ソプラノ・アリアがまた渋い。第2部第6曲バスのレシタティーボと第7曲バスアリアがかなり聞きものとなってます。ヴェルナーの43番は厳しさとか緊張感はないがそのかわりにあたたかさがあり、聞き手を癒します。その他BWV140、11など聴きました。ヴェルナーの演奏はクセがあまりないのですが、聴くとどうも安心出来る感じがありまして、聴き易くなんとも人懐っこい演奏ですね。


From Skunjp To juncoop5@goo at 2004 12/10 23:54 編集 返信

お久しぶり

今日は風邪で一日中寝ていました。
ゴホゴホ・・・

静かにバッハの伝記を読んだり、18のコラールを聴いて感動したり・・・

寝る前にちょっと掲示板を読むと・・・オオッ!

nekonyaさん、お久しぶりではありませんか。

マタイの演奏評、明日じっくり読ませてもらいましょう。(^o^)

From juncoop To juncoop5@goo at 2004 12/10 23:52 編集 返信

nekonya さん、恐るべき・・42種のマタイ・・

nekonya さん、恐るべき・・42種のマタイ・・有難うございました。

これは・・ギネスブックものでは・・!

恐るべし・・・。

今後のマタイコレクションに大変参考になります。ゆっくり読ませていただきます。

私は・・ヘンデルの10番についての語りをまだ終えておらず、続きを書きたいと思います。

大変有難うございました。


=3=3 ひゅ〜〜


From nekonya To juncoop5@goo at 2004 12/10 23:13 編集 返信

マタイ受難曲9


☆マクリーシュ/ガブリエリ・コンソート/パドモア/ハーヴェイ(2002)

1パート1人のいわゆるOVPPで録音されたマタイで、大きな編成での演奏を聞き慣れた耳には冒頭から新鮮な衝撃があります。
一人ひとりの声がはっきりと分離して聞こえることによって、コラールはよりインティメートな語りかけとなり、合唱もテクストの意味が生々しくリアリティーをもって感じられます。
この衝撃は最後まで薄れることなく、福音史家のパドモアの熱演にも助けられ、非常に興味深く全曲を聴き通すことができました。
従来のマタイの演奏を良く知っておられる方ほど、他の演奏との違いが際立って感じられると思いますので、最初にマクリーシュ盤を聴くよりも、他の演奏で十分曲に親しんでからこの演奏に触れたほうがよいと思いますが、是非一度はスコアを片手に聴いてみていただきたい演奏です。


☆樋口/明治学院バッハ・アカデミー/大島/小原(2002)

非常に珍しい初稿の録音です。(世界初録音)
第1部終曲が単純な四声体のコラールになっている、第2部冒頭の合唱付アリアAch! nun ist mein Jesus hin!がバスで歌われる等の興味深い変更があります。
演奏は、古楽器による意欲的なアプローチで、器楽のソリストには有名奏者も含まれていますが、歌手陣は必ずしも万全でないのが惜しまれます。


インプレッションは以上で終わりです。
長文大変失礼いたしました。


From juncoop To juncoop5@goo at 2004 12/10 23:11 編集 返信

マタイについて語る・・・

私は、以前、montさんがマタイについて語られたとき、その多くの演奏を聴かれたという・・集中力、根気、追求、自分なりの意見を語るというその労力と情熱にとても感動しました。私なら、 nekonyaさんがおっしゃられるとおりになったと思います。

マタイについて語る・・それはとても難しいこと。バッハの集大成でもありこの世に幸運にも与えられた、最高のバッハの贈り物だからです。その音楽を数種類聴くという、時間の長さと集中力は、とても大変な事であると、聞く前に乗り越えられない、なにか困難を感じ、断念しそうでなりません。

リヒターやクレンペラーのマタイについて以前語ったのですが、やはり自分が納得出来る文章にはなりませんでした。

マタイについていくつかの演奏を聴き比べるということは、果たして出来るのかと・・。

私にはCDやその他録音で14種のマタイがあります・・

リヒター3種、ミュンヒンガー、アーノンクール、レオンハルト、マウエルスベルガー、クレンペラー、鈴木雅明、リリング2種、ヨッフム、レーマン、メンゲルベルク(抜粋)、カラヤン(抜粋)、ワルター(第1部)

これだけのマタイを聞き比べることが果たして出来るのかどうか・・自信がありません。

しかもまだまだマタイはある・・グッテンベルクやヘレヴェッヘ、聴くべきものがあります・・。

マタイについて語る・・それは私にとって、最高で困難な課題でもありますね。

いずれはやりたいと思います。




From nekonya To juncoop5@goo at 2004 12/10 23:11 編集 返信

マタイ受難曲8

☆鈴木/BCJ/テュルク/コーイ(1999)

エヴァンゲリスト、イエスともに優れ、凛と張りつめた緊張感が演奏全体を支配しています。
過度なドラマ性を排し、その表情は禁欲的ですらありますが、作品への真摯な姿勢が、じわじわと聴き手の心を捉えていきます。
ここでは「演奏する」という行為自体が神の証であり、それは救いの確信へとダイレクトに結びついているように思えます。
そのことは、この演奏に大きな説得力を与えていますが、時に聴き手にとっても、十字架による救いを信じるのか否かという二者択一の問いを突き付けられるような厳しさとして迫ってきます。
合唱は、パレットの色数こそ多くはありませんが、濃淡の浸潤によって墨絵のような美しさを作り出しています。ソリストはバスが弱いほかはおおむね満足できるできばえです。
ブレイズのカウンターテナーの声質はソプラノといっても良いほどで、どこまでも澄み切って軽やかに響きます。
この人の歌を聴いていると、悔いの涙さえも青空の中に溶け込んでいってしまうかのようです。


☆アーノンクール/ウィーンコンツェントゥスムジクス/プレガルディエン/ゲルネ(2000)

海外でも非常に高い評価を得ているアーノンクールの最新録音です。
冒頭合唱が3拍子系の舞曲に聞こえるのはシュライアー以来でしょうか。
アリアと合唱曲の舞曲としての性格を強調する最近の演奏傾向も、この録音によって確立されたように思います。
ここでもゲルネのイエスは素晴らしく、当代一と言っても良いかもしれません。
CD3の余白にバッハの自筆譜が収録されているのも注目です。


○ダウス/バッハアンサンブル/ワグナー/シャイプナー(2000?)

ライブ録音特有の荒さはありますが、合唱中心に高いレベルの演奏です。
特にゆったりと歌われるコラールは印象的。
残念ながらソリストは万全のコンディションではないようです。


○ツー・グッテンベルク/ミュンヘン・クラングフェアヴァルトゥング管/ウルマン/メルテンス(2002)

一聴して、旧録音とのあまりに大きな違いに驚かされます。
冒頭合唱は旧録音の8分39秒に対してこの演奏では6分8秒。以後も新録音は圧倒的な速さで駆け抜けます。
全体の演奏時間は、実にマクリーシュやグッドウィンよりも短いようですので、現時点では最速かもしれません。
速くなっているのは主にアリアで、舞曲としての性格がより強く打ち出されているようです。
そのため、感情の表出をコラールが受け持つ場面が多くなり、合唱と器楽の表現の振り幅は旧録音よりさらに大きくなっていて、有名な受難コラールの第1節では、ノンビブラートのヴァイオリンの強奏があたかもトランペットのように響き渡ります。
あまりにも個性的で好き嫌いは激しいと思いますが、非常に優れた演奏です。



From nekonya To juncoop5@goo at 2004 12/10 23:10 編集 返信

マタイ受難曲7

☆マックス/ライニッシェ・カントライ/プレガルディエン/メルテンス(1996)

CD2枚に収まっていますが、しっかりとした楽譜の読みに基づいたテンポ設定がされていますので速すぎる印象はありません。
切れと勢いある合唱は驚くほどうまく、器楽も緊密なアンサンブルを聞かせます。
なんといっても圧倒的なのは聖書記事の部分で、速いテンポの中で繊細にテクストを音化していくエヴァンゲリストとイエスの組み合わせは、数多くの録音の中でもこのマックス盤がベストかもしれません。
ただし、メルテンスのイエスには威厳とか荘重さは全くありませんが。
他のソリストもアルトのノーリンをはじめ、ビブラートの少ないよく伸びる清冽な声で統一され、非常に高いレベルでよく歌っています。
ただ、ソプラノのアリアは、フリンマーに一人で歌ってほしかった気がします。


○小澤/サイトウキネンo/エインズリー/クヴァストホフ(1997)

クヴァストホフの劇的なイエスと、シュトゥッツマンの深い声が印象的です。
オルガンも雄弁で、エインズリーの語りを効果的にサポートします。
基本的には受難ドラマに焦点を当て、アリアではバッハ特有の舞曲のリズムを上手く活かしながら情感を盛り上げていきますが、時にあまりに「ドラマ」に傾きすぎるきらいがあるように思います。


☆グッドウィン//ミュラー/ジャクソン(1994)

こちらもCD2枚に収められています。
全体にすっきりとしていますが、物足りなさはありません。
冒頭合唱のコラールは少年合唱ではなくオルガンで旋律が演奏されるだけなので注意が必要です。


☆ブリュッヘン/18世紀o/ニコ・ファン・デル・メール/ジグムントソン(1996)

合唱、器楽とも非常に水準が高く、技術的な事項に関する限り、古楽器演奏に関する偏見は完全に過去のものになったと感じさせる演奏です。
いくつかのアリアやコラールでは、とにかくテンポが速く驚かされます。
特に各部の終曲は、第1部5分7秒(平均6分25秒)、第2部4分56秒(平均6分12秒)と、それぞれ私の手元にある録音中最速で、それまでに起こった出来事があたかも夢だったかのように、あっという間に過ぎ去ってしまいます。
ソリストでは、テノールのボストリッジが非常に優れた歌を聴かせます。


☆ヘレヴェッヘ/コレギウムヴォカーレ/ボストリッジ/ゼーリヒ(1998)

匂やかな合唱がとても美しい演奏。
激しい部分でも音のエッジは柔らかく、決して絶叫にはなりません。それでいて、迫力は少しも損なわれず、聴き手にテクストの本質を訴えかけてきます。
この優れた合唱を中心に、受難の出来事を巡る様々な人間的感情が、大袈裟にならず、丁寧に、細やかに描かれていくのです。
ここで展開されているのは、苛烈な受難のドラマではなく、人間の内面の発見とその罪からの救いであるように思われます。
そして、この音楽を聴いていると、「罪と救い」という問題は、決して教会内やキリスト教の世界に限定されたものではなく、日常に生きる私達の身近に存在するものであることをあらためて感じさせられます。
ボストリッジは、語るエヴァンゲリスト全盛の時代にあって、敢えて旋律線をくっきりと聴かせます。
アリアでは、ショルの歌唱がとりわけ素晴らしく、カウンターテナーによる演奏の中では随一と言えます。
前回の録音に比べると、表現の自由度が増し、器楽アンサンブルの錬度、合唱の自発性ともに驚くべきレベルに達しています。
これは、まったくプロテスタント的ではないのかもしれませんが、とても魅力的な演奏です。

From nekonya To juncoop5@goo at 2004 12/10 23:09 編集 返信

マタイ受難曲6

○ツー・グッテンベルク/バッハ・コレギウム・ミュンヘン/アーンシェ/プライ(1990)

モダン楽器による骨太で劇的なマタイです。
表現の幅が大きく、雄弁な通奏低音(チェンバロ使用)がそれを支えます。随所に工夫が凝らされていますが、対象の掘り下げが深く、真正な感情に溢れているので、作り物めいた感じは一切ありません。
特にスビトピアノを駆使したコラールでの表現力の豊かさは驚くばかりで、受難コラールO Haupt voll Blut und Wundenでは、なんと3分17秒もかけて切々と歌い上げています。
これは、リヒターはもちろん、メンゲルベルクやクレンペラーよりも遅く、70年以降の平均演奏時間とは約1分もの隔たりがあります。
他にも、ペテロの否認を最も長い時間をかけてたっぷりと聞かせているのも70年以降ではこの指揮者の2種の録音ですし、このようなロマン的な表現が随所に聴かれ、しかもそれがバッハの音楽をまったく損なうことなく見事にツボにはまっているのは驚くばかりです。
プライはさすがに風格豊かなイエスを聞かせますが、一人だけ旧バッハ全集の部分があるなど歌い癖が感じられ大物歌手起用の難しさを思わせます。
しかし、そうした点を考慮しても、練り上げられた表現は非常に説得力があり、モダン楽器でどれかひとつを選ぶとすれば、現時点ではこの演奏になるかもしれません。


☆コープマン/アムステルダムバロック管/ド・メ/コーイ(1992)

メッサ・ディ・ヴォーチェを多用する非常に軽く速い合唱と雄弁なオルガンが独自の雰囲気を形作っています。
合唱は独特の浮遊感があり、フレーズの途中でのメッツァ・ヴォーチェにはドキリとさせられます。
全体に、とてもすっきりとした演奏で、そのあたりに物足りない印象を受ける方もいらっしゃるかもしれません。
ソリストでは、ソプラノとカウンターテナーがやや弱く、コーイのイエスも普段に比べて控えめの感があります。


●シュペリング/ダス・ノイエ・オルケストラ/ヨッヘンス/リカ(1992)

メンデルスゾーンによるマタイ受難曲蘇演を再現した録音です。
有名な第2部のアリアErbarme dichが、なんとソプラノで歌われていることをはじめ、普段聴きなれている響きとの違いに驚かされる箇所がいろいろとあります。
しかし、演奏は真摯で優れたもので、単なる珍品と言ってしまうことはできません。
この演奏を聴いていると、いろいろな感慨をおぼえます。
私たちがこうして『マタイ受難曲』という人類の至宝のような音楽を聴くことができるのも、バッハ本人はもちろんですが、それ以外にも多くの人々の大変な努力と苦労によるものであること、そしてその中でもメンデルスゾーンの果たした役割は非常に大きかったこと等々。
最新の研究成果を反映した演奏とはまったく違う響きですが、この響きは当時の人たちのバッハに対する真剣な思いと情熱が生み出したものです。
そう考えると、結果的にバッハの意図を損なっているような箇所があったとしても、これを一概に「当時の誤り」として片付けることはできないのではないでしょうか。
少なくとも私はこの演奏に、最新のピリオド楽器による演奏と同じくらい大きな感動を与えられました。


☆クレオバリー/ブランデンブルクコンソート/コーヴィ=クランプ/ジョージ(1994)

エマ・カークビー、マイケル・チャンスのソロアリア、グッドマンの装飾を多用したヴァイオリンソロ等聴き所の多い演奏です。
器楽と合唱はあっさりとしていますが、コーヴィ=クランプの福音史家は独特の粘りがあり、好き嫌いが分かれるかもしれません。


○リリング/バッハ・コレギウム・シュトゥッツガルト/シャーデ/ゲルネ(1994)

伝統的な表現をしっかりと受け継いでいた78年の録音と比べると独自の表現が多くなり、指揮者の強い意欲を感じさせます。
そこにはピリオド楽器による演奏の影響も強く感じられますが、基本となっているのは厳しく磨かれた合唱で、随所で聞かれる指揮者のさまざまな工夫を見事に実現しています。
また、ソリストの発音も統一され、それがドラマの流れをスムーズにしているため聴き手を飽きさせない演奏になっています。
ただ、個人的な感想ですが、それらの細部の工夫やピリオド奏法からの影響がいくぶん表面的に流れ、感情の奥底まで音楽が届いてこない恨みがあるようにも思います。
シャーデの福音史家が時にうるさく感じられてしまうのも歌い手だけの責任ではないかもしれません。
ゲルネのイエスは非常に優れています。

From nekonya To juncoop5@goo at 2004 12/10 23:08 編集 返信

マタイ受難曲5

☆ヘレヴェッヘ/コレギウムヴォカーレ&シャペルロワイヤル/クルック/コールド(1984)

抑制の利いたストイックな表現の中で、磨き上げられたフレーズを一つひとつ積み重ねることにより、陰翳に富んだ深い音楽を作り出しています。
ヘレヴェッヘの美点は、細部へのこだわりが決して不自然にならないことで、全体は楽々と呼吸し、音楽の流れは滞ることがありません。
たとえば、最初のコラールHerzliebster Jesuをガーディナーと比較してみると、この指揮者の特質がよくわかります。
両者とも最高の技量をもった合唱団による優れた演奏ですが、モンテヴェルディ合唱団がわずか38秒でさらりと歌っているのに対し、コレギウム・ヴォカーレは51秒(平均よりやや速いテンポです)をかけて、言葉を噛みしめるように歌います。
そのときの、Schuld(罪)の語の重さ!
胸に突き刺さるように響くこの一語、一音だけで、バッハが『マタイ受難曲』に込めた思いの一端が十分に開示されているように感じられます。
そして、この演奏をさらに素晴らしいものにしているのは、演奏者たちすべてに感じられるひたむきさです。
シュリックの清純なソプラノ、クルックの真摯で感動的なエヴァンゲリスト、コールトの若々しく優しいイエス、美しくも苦味のあるブロホヴィッツのテナー、テクストの深い読みを的確な表現で聴かせるコーイ、そして深い情感を驚くべき声のコントロールと技巧で描き出すヤーコプス。
優れた通奏低音陣にサポートされて、ソリストたちは、それぞれのキャリアの中で最高とも思える出来を示しています。
マタイ受難曲の演奏をいくつか手元に置いておこうと思うならば、必ずその中に入れていただきたい演奏です。


○ショルティ/シカゴ交響楽団/ブロホヴィッツ/ベーア(1987)

美声のエヴァンゲリストとオペラテックなアリアによって劇的な盛り上がりを見せるマタイですが、
コラールは意外にも(失礼!)デリケートにコントロールされ、きっぱりとした聖書テキストの部分と見事なコントラストを描いています。キリ・テ・カナワのアリアはオペラ的ですが大きな存在感があります。
きびきびとしたテンポでドラマチックに受難を描くマタイです。


☆ガーディナー/イングリッシュ・バロックソロイスツ/ロルフ・ジョンソン/シュミット(1988)

洗練された美しさと機能美に溢れるスタイリッシュなマタイです。
ピリオド楽器による演奏の中ではダイナミクスの幅が広く、強弱のコントラストを上手く使ってぐいぐいと音楽を前に進めていきます。
モンテヴェルディ合唱団の素晴らしさは、言うまでもなくこの録音の大きな魅力です。
有名な受難コラールO Haupt voll Blut und Wundenでも、器楽を最小限に抑制することにより、この優れた合唱団の威力を十分に活かした演奏となっています。
しかし、器楽も含めて、フレーズを短く切っていくあまりにも直線的な音作りには、今や「一時代前の古楽演奏」のイメージを抱かれる方もいらっしゃるかもしれません。
ソリストでは、若きバーバラ・ボニーのソプラノや、アンネ・ゾフィー・フォン・オッターとマイケル・チャンスによるアルトとカウンターテナーの競演など聴き所が多くあります。


☆レオンハルト/ラプティットバンド/プレガルディエン/エグモント(1989)

1970年のアーノンクール盤と同じく全員男性の歌手を起用してバッハ当時の演奏の再現を企図しています。
しかし、その表現はなんと違うことでしょう!
アーノンクール盤が、作品の持つ可能性を外に向かって表出してみせたのに対し、レオンハルトはひたすら作品の内側に沈潜します。
全体に素朴で飾らない演奏で、コラールなどは武骨なほどですが、劇場的な演出や効果のための恣意的な表現を排し、一途にバッハのテクストを掘り下げていく姿勢には強く心を打たれます。
ソリストは、プレガルディエンの万全の福音史家をはじめ、若々しく魅力的なエグモントのイエス、テルツ少年合唱団の二人の少年による清純なソプラノ、ヤーコプスのアルト、メルテンスのバスなど。
オーケストラは、コンサートマスターのシギスヴァルト・クイケンが器楽陣の指揮を兼ね、寺神戸亮、フランソワ・フェルナンデス、スタース・スヴィールストラ(以上Vn.)、マルレーン・ティアーズ(Vla.)、リヒテ・ファン・デル・メール(Vc.)、バルトルト・クイケン、マーク・アンタイ(以上Fl.)、パウル・ドンブレヒト、マルセル・ポンセール(以上ob.)、ピエール・アンタイ(org.)、ヴィーラント・クイケン(gamb.)など、まさに当時の古楽界の総力を結集したような豪華な顔ぶれになっています。

From nekonya To juncoop5@goo at 2004 12/10 23:07 編集 返信

マタイ受難曲4

○ウィルコックス/テムズ室内管/ティアー/シャリー=クァーク(1979)

珍しい英語による全曲録音です。
しっかりとした演奏ですが、英語で歌われるマタイはやはり違和感が強く私などは聴き疲れしてしまいます。
バッハがどんなにドイツ語のディクションを大切にしていたかということがよくわかります。


○リヒター/ミュンヘンバッハ管/シュライアー/フィッシャーディースカウ(1979)

1958年の録音とは対照的に重厚感溢れる演奏です。
第一部は、ゆったりと流れるというより、空気は重く非常に深刻ですが、不思議なことに緊張感はあまり感じられません。
第二部に入ると流れは良くなり、シュライアーは受難ドラマを情感をこめて劇的に歌い上げ、ベイカーの大きなビブラートが悲壮感を高めます。
しかし、全体にどこか弛緩した感じがつきまとうのは、58年盤の記憶が強烈すぎるからでしょうか。


○コルボ/ローザンヌ室内管/エクヴィルツ/ファルスティシュ(1982)

広がりのある柔らかな合唱が、演奏全体に統一感を与えています。
エクヴィルツの柔らかな福音史家など感心する部分も多い演奏ですが、イエスを歌うファルスティシュをはじめ、ソリストに「言葉」より「声」を誇示する傾向が耳につくのが残念です。
たとえば、ソプラノのマーシャルの少年を思わせる清潔な声は、この曲のアリアを表現するのにまさに理想的であるように思えるのですが、過剰なビブラートがその実現を妨げているように思えます。


○シュライアー/ドレスデンシュターツカペレ/シュライアー/アダム(1984)

冒頭合唱のリズムを聴くだけで、まずその大胆な解釈に驚かされます。
シュライアーのエヴァンゲリストは後年になるほど饒舌になっていきますが、ここでも非常に雄弁、オルガンもときにやりすぎではないかと思えるほどに弾いています。
器楽、合唱ともに演奏のディテールに独自のアイディアを数多く取り入れ、リズム処理やアーティキュレーションも凝っていますが、果たして成功しているのか、賛否は分かれるところではないでしょうか。

From nekonya To juncoop5@goo at 2004 12/10 23:06 編集 返信

マタイ受難曲3

○ゲッチェ/ハイデルベルク室内管/ピポネン/ケーニヒ(1970?)

荒削りですが、ソリスト、合唱ともに水準は高く、表現に躍動感があって飽きさせません。
通奏低音でもしっかりと大きなビブラートをかけて全体をリードするチェロがユニークです。


☆アーノンクール/ウィーンコンツェントゥスムジクス/エクヴィルツ/リーダーブッシュ(1970)

初めての古楽器使用、全員男性による録音です。
当時、この演奏がいかに衝撃的であったかは、冒頭合唱のテンポを比較するだけでもよくわかります。
この演奏以前の上記10種を見ると、冒頭合唱の平均演奏時間は9分半、最長のクレンペラーにいたっては11分47秒もかかっています。
しかし、この録音では7分29秒、上記10種で最短のゲッチェ盤が8分26秒ですから一気に1分近くも記録を更新したわけです。
この演奏の魅力は斬新なテンポ感だけではありません。
少年合唱によるソプラノ、アルトパートの清冽な響き、バッハの自筆譜を深く読み込んだ上での表現の大胆さなどまさに目から鱗が落ちる思いの連続です。
ちなみに、このアーノンクール盤以降の録音で見ると冒頭合唱の平均演奏時間はちょうど7分30秒。
この演奏が今日のマタイ受難曲演奏の流れを創ったと言っても過言ではないかもしれません。


○マウエルスベルガー/ライプツィヒゲバントハウス管/シュライアー/アダム(1970)

質実で簡素な力強さが聴く者の心をしっかりと捉える演奏です。
合唱、ソリスト共に、発音にバッハが長くカントルを務めたザクセン地方のイントネーションを色濃く残しており、その伝統に根ざした風格は他の演奏とは一線を画します。
シュライアーのエヴァンゲリストは若々しく、彼にしては端正と言っても良いほどで、他の録音で見られるように一人で浮き上がったりせず、全体の中で見事に存在感を示しています。
ちなみに、マウエルスベルガー盤の冒頭合唱は8分50秒、同じ年に録音されたアーノンクール盤と比較するとあまりの表現の違いに驚かされますが、両盤とも名盤たるに恥じません。
徹頭徹尾異なったこの両者を共に許容するところに、『マタイ受難曲』という作品の恐ろしいまでの懐の広さを感じさせられます。


○カラヤン/BPO/シュライアー/フィッシャーディースカウ(1972)

驚かされるのは通常4分半ほどで演奏されるバスアリアGerne will ich mich bequemenを、なんと7分もかけて演奏していることです。
3分14秒で演奏しているダウス盤に比べると2倍以上のゆったりとしたテンポになります。
フレージングも徹底して音を繋げていて、他の演奏では聴くことのできないものになっており、言葉はここではレガートに美しく旋律線を描き出すための道具として使われているようです。
マタイ受難曲が、メロディーだけを取っても大変美しい曲であることを教えてくれる演奏ですが、私がこの録音を聴き返すことは多くありません。


○リリング/バッハ・コレギウム・シュトゥッツガルト/クラウス/ニムスゲルン(1978)

決して派手さはありませんが奇を衒うことのないしっかりとした演奏です。
福音史家のクラウスは気品をもって端正にできごとを語っていきますし、アルトのユリア・ハマリも優れた歌唱を聴かせています。
リリングのマタイを聴きたいと思ったときに、華やかな新録音よりもこちらを選ぶという方も多いのではないでしょうか。

From nekonya To juncoop5@goo at 2004 12/10 23:05 編集 返信

マタイ受難曲2

すみません。
途中で切れたようなので分割して投稿します。

●フルトヴェングラー/VPO/デルモータ/フィッシャーディースカウ(1954)

きわめて遅いテンポで集中力をもって歌われるコラールは、神秘的といってもいいほどです。
その凝縮された響きには、宗教的な畏敬というよりも、ちょうど同じころに録音された『トリスタン』にも通ずるある種の官能性さえ感じられるように思います。
フィッシャー=ディースカウのイエスは若々しく魅力的で、このためだけにでも聴く価値は十分にありますが、残念なことに録音はよくありませんし多くの曲がカットされています。


○ヴェルナー/プフォルツハイム室内管/クレプス/ケルヒ(1958)

クレプスの福音史家は決して大げさにならず、聴かせどころのペテロの否認などでもむしろ淡々と語っていくのですが、それだけに次のアリアの痛切さが胸に響きます。
ここでのヴァイオリンのオブリガートは、時に即興的な修飾を交えながらアルトと対等かそれ以上に聴き手に訴えかけてくるようです。
合唱は最近の古楽系合唱団のような際立った技術やアンサンブルなどはないのですが、コラールでのゆったりとしたテンポや各声部がやわらかくブレンドされた落ち着いた響きには満ちたりた安心感が感じられます。


○リヒター/ミュンヘンバッハ管/ヘフリガー/エンゲン(1958)

造形感覚に優れた演奏で、その引き締まったフォルムは、厳しい造形性と劇的な内面表現を両立させたという点において、ロダンの彫刻と比較できるかもしれません。
過剰な表現は厳しく抑制され、ここで起こるすべてのできごとは、クライマックスとして設定されたWahrlich dieser ist Gottessohn gewesen.(「まことにこの人は神の子であった」)の一句へ向けて驚くべき集中力で収斂していきます。
また、特筆すべきは、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウが歌うバスアリアです。
表現の清澄さと奥深さ、歌に込められた願いの純粋さ切実さ、そして、それを的確に聴き手に伝える技術は、他のすべての録音から大きく際立っています。
この後のマタイ受難曲の演奏は、すべてこのリヒター盤を乗り越えようとするところから始めなければなりませんでした。


○クレンペラー/フィルハーモニア管/ピアーズ/フィッシャー=ディースカウ(1961)

壁画のような壮大なスケールをもつバッハです。
しかし、決して大味な演奏ではなく、冒頭合唱から強調された木管の線がくっきりと絡み合い、バッハのスコアを構造的に再現していきます。
その丹念な筆致が、凄まじいまでの緊張感を醸しだし、音楽はその遅いテンポにもかかわらず一瞬たりとも弛緩することがありません。
残念なのはいくつかのアリアで演奏者が指揮者の要求するテンポ感についていけない場面があることです。


○ミュンヒンガー/シュトゥットガルト室内管/ピアーズ/プライ(1964)

合唱のソプラノとアルトに少年合唱を起用した意欲的な録音ですが、同じように少年合唱を起用した後年のアーノンクール盤(1970)やレオンハルト盤を知っている私たちには、どうしてもコンセプトの徹底が不足しているように感じられます。
また、合唱を重視する人は技術的にも不満を覚えるかも知れません。
しかし、この演奏の先駆的な意義は決して色褪せるものではありませんし、なんといってもソリストが素晴らしいのは大きな魅力です。
福音史家のピアーズの出来はクレンペラー盤を上回りますし、プライのイエスには本当にほれぼれとさせられます。
きっとイエス本人もこのように魅力的な人だったに違いないと思わせるような歌唱です。
ソプラノはアメリンク、そしてテノールはヴンダーリヒが歌っています。
特にヴンダーリヒのテノールは、見事な声と歌詞に対する天才的な敏感さを兼ね備え、まさに完璧といってもよいほどのものだと思います。


○ヨッフム/アムステルダム・コンセルトヘボウ管/ヘフリガー/ベリー(1965)

超特大編成のオーケストラと合唱団による厚みのあるマタイ受難曲を聴くことができます。
といっても、決して力に任せた演奏ではなく、全体はむしろ静かに淡々と進んでいく印象です。
ヨッフムの安定感と奇を衒うことのない誠実な音楽作りは、モダン楽器による大編成であっても、バッハの音楽を損なうことなく聴き手に伝えることができることを見事に示しています。

From nekonya To juncoop5@goo at 2004 12/10 22:59 編集 返信

マタイ受難曲

juncoopさん、ありがとうございます。

私にはマタイ受難曲のBest演奏は決められません。
マタイ受難曲は、できれば受難節に「ライブ」で体験していただきたい曲です。
バッハの遺した楽譜から新たな演奏行為によって音楽が立ちのぼるとき、その現場に立ち会った人にとって、そのときのその演奏こそがBestに違いないからです。
とはいえ、外国語で延々と語り歌われる作品ですから、実演を聴く前に、録音で歌詞に親しみ、重要な言葉を確認しておく作業は大いに意味のあることだと思います。
歌詞を理解するための重要な単語はそれほど多くありませんので、是非テキストを読みこんでから聴いてみてください。

以下に私が聴いたCDの印象を簡単に記しておきます。
この曲には、多くの素晴らしい録音があり、演奏によってそれぞれ焦点の当て方が違いますので、ひとつを聴いて退屈に思われた方も、そのうちきっと琴線に触れる素晴らしい演奏に巡り会えることと思います。


行頭記号☆は古楽器、○はモダン楽器による演奏。●はカットのある演奏です。
指揮者/器楽/福音史家/イエス(録音年)


●メンゲルベルク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管/エルプ/ラヴェリ(1939)

大胆なカットとデフォルメーションで、他の録音にない唯一の世界を作り上げています。
独自の情熱的表現は、あたかもミケランジェロの偉大なピエタのように聴き手の心を直接捉え揺さぶります。
ただ、このピエタはトルソであって、カットの多いこの演奏だけで『マタイ受難曲』のすべてを語ることはできません。
ポルタメントを多用し大きくテンポを揺らしながらもアンサンブルが乱れないのはさすがですし、寄せては返すフレージングは、時に船酔いに似た効果をもたらしながら聴き手引き込んでいきます。
録音は悪く、特に高声部が雑音にマスクされがちなのは残念です。


●ラミン/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管/エルプ/ヒュッシュ(1941)

メンゲルベルク盤同様カットの多い演奏で、福音史家も同じエルプが歌っています。
しかし、この二種を聴き比べると、メンゲルベルク盤に聴かれる、大戦中の何かに取り憑かれたかのような追い詰められた熱気と、この演奏に感じられる自省と客観性が見事な対照を成しているように思えます。
そして、そのどちらもが『マタイ受難曲』という一作品に結実しているわけですから、歴史的録音/モダン楽器/ピリオド楽器などといったカテゴリーで安易に演奏を語る危険性をつくづく感じさせられます。
大急ぎで一言言い添えておくと、ラミンの演奏は客観的といっても決して冷たいものではありません。
そのアプローチは、厳しい検閲とカットによってバッハのテクストがずたずたにされる中で、ほの見えるかすかな希望を手繰り寄せるかのようなバッハへの深い共感に根ざすもので、後年のリヒター盤を予感させる厳しい造形感覚と熱い思いが共存している名演だと思います。


○レーマン/ベルリン放響/クレプス/フィッシャー=ディースカウ(1949)

この時代としては画期的なカットなしのライブ録音です。
緩急の振り幅が非常に大きい演奏で、おおむねアリアや各部の終曲は遅く、群集を描く合唱部分は最近の古楽演奏のように速く演奏されます。
通常1分台で歌われることの多いテノールの伴奏付レチタティーヴォO chmerz!(「おお、痛みよ!」)は3分39秒という遅さですし、ブリュッヘン盤が5分7秒で演奏している第1部の終曲 O Mensch bewein dein Suende gross(「おお人よ、汝の罪の大いなるを嘆け」)などは、なんと9分以上もかかっています。(ただしクレンペラーはこの曲を11分1秒!超絶的な遅さです。)
ライブですから歌手に完璧を求めることはできませんが、時代の記録としては大きな不満はありませんし、音は貧しいですが聴き難さは感じません。


○カラヤン/ウィーン響/ルートヴィヒ/シェフラー(1950)

バッハフェスティバルでのライブ録音です。
冒頭合唱で第一コーラスと第二コーラスをきちんと分離させ、第二コーラスの問いかけを鋭く強く歌わせるところなどは後年の古楽演奏と共通する解釈で驚かされました。(ただし、マイクの制約などの影響で、そう聞こえる可能性もあります。)
アリアは概ね、ゆったりとしたテンポでレガートに歌われる一方、レチタティーヴォはルートヴィヒの美声を活かして十分に緩急の変化を付け、ドラマティックに歌いあげられます。
合唱も、ときに早すぎるほどのテンポでドラマをサポートしますが、70年のスタジオ録音盤のように全てレガートで塗りつぶされるのではなく、比較的はっきりと一つひとつの言葉を伝えていきます。
録音は良いとは言えず、かなりの雑音を覚悟する必要があります。


●フルトヴェングラー/VPO/デルモータ/フィッシャーディースカウ(19